耳鍼の歴史

 日本では圧倒的に「痩せる耳ツボ」としての認知度が高いと思いますが、もとは70年代を前後に発展した立派な代替医療の一部門です。鍼灸を学んだ人は、学校で「P.ノジェ=耳鍼」というのを暗記したと思いますが、そのノジェ(Paul Nogier)という、フランス第二の都市リヨンに住む一人の整形外科医により1956年発表されました。

 現在様々な文献によりその起源が問われておりますが、治療理論として系統立て完成させたのはやはりノジェに因るものが大きいと思われます。よく中国医学の古典に、耳の経穴に関する記述があるとしてそれを起源とする説がありますが、それは後になってこじつけたものです。中国では古来、耳への刺激を主とした治療体系はありませんでしたし、中国耳鍼療法の研究が始まったのはノジェの発表後だからです。しかし紀元前に原型を完成させた中国医学が、アジアのみに留まらず地中海地方まで伝播した可能性は充分にありますが、だとすればなぜその他の体鍼や経絡理論が残らずに耳鍼のみが残ったのか疑問です。


ノジェ以前
 ノジェは全くの無から耳鍼療法を発見したのではありません。以下にノジェ以前の耳への刺激療法の記録を上げて見ます。
  • ヒポクラテス(紀元前4世紀)の著書に「坐骨神経痛には耳背の静脈を切って治す」という記述がある。またスキチア(現中央アジア)の人々は性不能症や避妊の為に耳背の静脈を切る治療法があるとも報告している。
  • 1636年、ポルトガルの医師、Zactus Lusitanisがその著書の中で、腰痛患者の耳背に灸をして治したとの記載がある。この医師はヒポクラテスの記述を参考にしている。
  • 1704年、イタリアの解剖学者、Valsalvaがその著書の中で激しい歯痛に耳の皮膚を焼くという治療法をあげている。
  • 1810年、イタリアの医師、Collaが耳背を焼いてやはり坐骨神経痛を治したという記録を残している。
  • 1852年、Frederic Gonnetという医師がある患者の対耳輪の一部(対耳輪は脊椎に相当する)の圧痛、発赤と、その患者の坐骨神経痛の関連を観察して記録に残している。同年、フランスのヘンリー医師は、長年の腕の痛みを持つ患者二人に対して耳を焼いて治療したという記録を残している。
  • 1850年ごろには約20以上の耳による治療方法の論文発表があり、耳の図面、耳を焼灼する道具の図を挙げ、また適応疾患も坐骨神経痛だけでなく腕の神経痛、顔面神経痛、歯痛に応用した記録が残っている。

 以上、文献として残っているもののみを挙げました。他にもエジプトに避妊を願う女性の耳のある点を針で刺す方法があったという考古学者もいるそうです。いずれにしてもヒポクラテスから始まって二千年以上の間、耳に対する刺激が何らかの効果を及ぼすということは一部の医学者によって知られてはいたものの、ノジェを前にして系統立った治療理論とした者は皆無でした。

ノジェによる耳鍼法発見
 ノジェはヒポクラテスによる耳背の静脈を切る記述や、上記の記録を目にしていませんでした。耳鍼法を思いついたのは1951年、44才のノジェが自身の治療室で出会ったある女性患者の耳にある小さな火傷の痕を見て、それが地中海沿岸地域で数千年前から用いられていた民間療法の一つである事を知ったからでした。

その後数人の患者の耳に同じような火傷痕を見つけてはその由来を聞き、耳への刺激と坐骨神経痛の関係に興味を示していきました。それらの火傷痕は同じ場所、対耳輪上部にある今の腰仙関節点にありました。実際に自ら坐骨神経痛の患者の耳を焼いてみると、不思議にも痛みは治ったのです。またノジェは当時、既にマルセイユの鍼の大家、ニボイエ(Nibuyet)から鍼を習っており、あるとき自分の患者の坐骨神経痛に対して、耳への刺鍼を試したところ、同じように効果がありました。

 その後、坐骨神経痛に効果がある一点を見つけただけでは満足せず、ノジェは耳と身体との間に生理学、神経学的な関係があるのだろかと模索していきました。そしてそれがついにあの「耳介反射図」または「逆さ胎児の図」の発見につながったのです。ノジェは次のような過程をたどりました。

  1. 坐骨神経痛は仙腸関節の問題だ
  2. 耳のあの点は坐骨神経痛が治せる
  3. 耳のあの点は仙腸関節に関係があるのでは?
  4. 耳のあの点が仙腸関節だとすれば、そのとなりには腰椎、その先には頚椎、頭部があるのでは?

と、試行錯誤と観察を続けていったのです。1953年夏のことでした。

耳鍼法の発表

 現在まで続く耳鍼法の基本的な部分はこの後数年で出来上がりました。ノジェは、当時既に日本の南藤成が発見した電気刺激の鍼刺激の応用をニボイエを通して知り、これを耳鍼治療に応用し効果がある事を発見しています。耳の反射区の大部分と、治療方法の基礎が出来上がったものの、当時ノジェの周囲には彼の新しい治療法を理解してくれる人はいなかったそうです。1955年、ノジェは彼の新発見をニボイエに恐る恐る話したところ、「そのような反射区の事実は中国医学には全く知られていない事実である。ぜひ次の学会で発表してくれ」とのことで、翌1956年、地中海地方の鍼灸大会で以上の発見を発表したのです。
 また、その後ノジェはドイツ・ミュンヘンの医師バッハマンに出会います。彼はドイツの鍼灸雑誌の主幹をしていた人で、彼はその雑誌にノジェの研究論文を翻訳して掲載しました。そしてそれが翻訳されて各国に知られ、ノジェの業績が世界的なものになっていったのです。

海外での発展・亜流の形成

中国:発表されたノジェの論文は日本へ、そして中国にも伝わりました。中国医学界にとってはちょっと衝撃的だったのでは、と想像します。なにしろ中国ウン千年の歴史にない、鍼を使った治療体系を、フランスの田舎に住む一人の医師が発表したわけですから。中医耳鍼の本には必ず「耳鍼は昔からあった。古典にも書いてある」とありますが、それは中国側の主張ではあるものの、古典に耳鍼法として治療をするという記載はありませんし、現在のように耳鍼を主体に治療をする体系もありませんでした。(耳鍼中国起源説の考察を参照)ノジェの発表が中国に伝わった後、おそらく国をあげての独自の研究が進み、ノジェとは異なる耳鍼療法が誕生しました。これが現在の中国耳鍼療法の始まりです。

日本では当初、耳鍼に対する評価が高くありませんでした。鍼灸界におけるニクソンショックの後も(1970年代)、ようやく長友次男氏がドイツ語訳(前述のバッハマンの雑誌)をした文献がある以外それを伝える書籍はありませんでした。その代わり、中国で発展した耳鍼療法関連の論文、書籍の日本語訳が紹介、出版され始めました。日本における耳鍼は、むしろ窪田丈氏(全日本ダイエット医学協会会長)が、この時期相次いだ鍼の減痛機序、鍼麻酔、そして鍼麻酔によるモルヒネ中毒禁断症状緩和現象に関する一連の研究を参考に、クボタ式と銘打って耳鍼(耳ツボ)によるダイエットを始め、80年代を通してブームを起こしたことに因るものが大きいでしょう。このことは現在まで「耳鍼=ダイエット」という認識がある事からも伺えます。(耳ツボダイエットを参照)1978年、米国在住の韓国人医師、趙敏行先生が「欧米耳鍼法の理論と臨床」を出版しました(医道の日本社)が、絶版となっており、入手困難です。

 現在まで国内で確認できる耳鍼関連の専門書籍は中国式のものがやや多く、認知度においては圧倒的に中国式の方が高いです。国内における耳鍼を用いている施術者は鍼灸師であり、中国式のほうがなじみやすいとも思えます。また耳ツボは非鍼灸師の行うダイエットが圧倒的で、彼らの治療の根拠となっている耳穴図は中国式のものを使っています。これは非鍼灸師が行うダイエットの範囲であれば複雑な耳点(穴)を駆使する必要は無く、ダイエット用の数点を覚えれば事足りるので理論のよりシンプルな中国式が適しているということと、ダイエット(減肥)に関してはノジェ派よりも中国式を用いる人たち、もしくはノジェ/中国折衷派の方が研究に熱心なのであえてノジェ派を参考にする必要がないことによるものだと思います。(クボタ式で用いているダイエット用の数点の耳穴に限れば、ノジェ式も中国式もあまり大差はない)医学界、鍼灸学会では、全体からみれば少数ですが、世界的に価値の高い研究を発表している研究者がいます。


アメリカ:ノジェが耳鍼を発表し、それを中国が追随する形で広まった耳鍼療法は、アメリカにおいて両者とも余す所無く吸収されていきました。当時ノジェと交流をもち直接技術指導を受けた医師たちは、現在様々な鍼灸学会、研究所の主要な人物となっています。アメリカにおいて耳鍼に最初に触れたのは、単に鍼灸に理解があるだけでなく、当時活発だった神経生理学、ペインコントロールに通じた医師たちでした。

 1971年、中国でのキッシンジャー・周恩来会談に同行していたNYタイムズ記者の虫垂炎手術後の鍼による疼痛コントロールの記事をきっかけで起きたアメリカ鍼ブーム(※)を背景に、当時盛んに研究された脳内鎮痛物質の発見と、それによる鍼の(西洋)科学的な解明などが進み、医師だけでなく多くの研究者が興味を持ってノジェや中国の新しい治療技術を研究し始めたのです。そのような経緯から、アメリカにおいて耳鍼研究層は厚く、それを主とする治療家も多く見受けられます。耳鍼専門の教育施設、学術団体、技術検定も存在し、書籍の発行量もおそらく最も多いです。また日本に見られない特徴として、ノジェ派の唱える「耳介医学」が浸透している、ということです。これは耳の反射区が三種類あり、病気の進行程度により異なった耳点配置がある、独特の脈診法(ACR)を用いる、レーザー刺激も併用するなど、ノジェの完成させた耳鍼療法が完全な形で伝わっています。(耳介医学とは?参照)現在も主要な耳鍼関連の研究の多くがアメリカで行われています。

※よく「ニクソンの訪中に同行していた記者の虫垂炎手術」という人がいますが、正確にはニクソン訪中を成功に導いた、キッシンジャーの訪中に同行していた記者です。またこの記者は鍼麻酔を受けたのではなく、あくまでも手術後の疼痛コントロールです。