①「耳ツボ」との出会い

こんにちは。私は臨床歴10年の鍼灸師です。今までごく普通に体鍼を用いて治療してきました。
そんな私が「耳ツボ」を知ったのは6年位前、「クボタ式痩せる耳ツボ」の講習に行ったのがはじめててでした。もちろん鍼灸師を目指す前から「耳にはなにやら痩せるツボがあるらしくて、そこに何かして痩せるという方法があるらしい」ということは知っていましたし、鍼灸学校の教科書にはフランスのノジェという人がそれを発見したとも書かれていました。

しかし当時の私は「中医鍼灸こそ本物で、ほかは興味なし」という純朴な青年だったので、全く関心がありませんでした。思い出してもあのころは、勤務し始めた鍼灸院でのお給料がでるたびに少しずつ中医関係の本を買うのが楽しみでした。(未だに全部読めていませんが)

でも中医学一辺倒なだけでなく、当時発行されたばかりのアンドルー・ワイルの本にはかなり影響を受けました。特に彼の著書、「人はなぜ治るのか」は、僕が鍼灸師を目指すきっかけになった本です。
また鍼灸学校一年生のころ、当時まだ有名になっていなかった安保徹の講義を聞きに行ったりしていました。安保先生はその後暫くして「免疫革命」などの一般書を次々に出版され、とても有名になられました。でも当時は品川区民会館の一室で、コーヒー一杯つきで2000円くらいの参加料で講演されていました。今ではもうあんなに小さな所ではしていただけないでしょうね。1998年ころのお話です。

話が脇にそれちゃいましたが、つい最近まで全く耳ツボ(もしくは耳鍼)に興味がなかったというわけです。6年前にクボタ式の講習を聞きに行ったときも、当時勤務していた鍼灸院の院長先生から「勉強になるから行ってきなさい」といわれたので行きました。
講演の内容は、「耳ツボ療法でなぜ、どうやって痩せるのか」ということよりも、「いかに痩せる耳ツボビジネスを成功させるか」に終始していたように思いました。勧めてくださった先生は、「こういう商売もあるんだよ」という事を教えてくれたのかなぁ、と思ったものです。そしてその後、講演で学んだ事(というより、何も学んだ気がしない)を臨床で使うということもありませんでした。

その後、日々普通に体鍼を用いて、いかに中医鍼灸で治療効果が上がるかを考えつつ勤務していました。当時の治療院は、治療効果が上がるのならば、治療方針は担当している鍼灸師にかなり自由に選ばせてくれていたので、様々な鍼灸の技術の研鑚をつむことが出来ました。とくに弁証からでた治則に対し、どの経穴でどんな作用をさせるかを思案しながらすごした2、3年間は大変勉強になったと思います。

また話がそれますが、2002年ころ、前述した安保先生が「免疫革命」を出版され、私の勤務していた鍼灸院でも自律神経療法(所謂12井穴に対する刺絡)を取り入れました。そんな影響もあって、自律神経と病気の関連を重要視することが多くなりました。

②耳鍼を使う医師たちとの出会い

 2006年、9年間勤務した鍼灸院を辞め、1年の予定でキューバで鍼灸・指圧の指導に行くことになりました。実はこのキューバで耳つぼに再び関わることになりました。

 キューバでなぜ指圧・鍼灸の指導などを?と思われるかもしれませんが、実はキューバは世界でも少ない「医師が病院で普通に鍼灸などの伝統医学を活用」する国の一つなのです。私はそこで「耳鍼」を使って患者を診る医師に何人か出会いました。そのうちの二人とは、数週間に渡り一緒に治療室ですごしたので、彼らの耳鍼による治療をつぶさに見ることが出来ました。

 ここでキューバで伝統医学が一時期発達した経緯を説明する必要があります。90年代、キューバの経済危機はあらゆる分野での物資の不足を招き、それは医薬品にも及びました。病院では薬や医療機器の不足から、「高価で複雑な薬品や医療機器を必要としない、なにか他の治療手段」の需要がありました。またその以前から、キューバ・中国間の友好関係は高まり、その影響は貿易、経済だけでなく、医療の分野にも及びました。旧ソビエト製に比べ質は劣るものの、医薬品が入るようになったり、この時期に数年間、中国から数人の中医師が技術指導の為に滞在しました。この時に直接この中医師から技術を学ぶことが出来たのはあまり多くはありませんでした。また彼らが滞在した病院はハバナ郊外の陸軍病院で、その他の場所で教えたり治療したり、ということはあまりありませんでした。(青字の部分は記録ではなく、医師たちに直接尋ねた時の答えです)私が出会った伝統医学関連の医師のうち、鍼灸、耳鍼を用いる医師はほぼ全員、中国人医師からこのときに学んだ医師から指導を受けていました。

 もう一つ、中国で耳鍼が急速に発展したころの事を説明します。中医耳鍼の本には必ず「耳鍼は昔からあった。古典にも書いてある」とありますが、それは中国側の主張ではあるものの、古典に耳鍼法として治療をするという記載はありません。正確には1957年、耳鍼法提案者のノジェが、ドイツの鍼灸雑誌にこの新しい治療体系を発表、それが翻訳されたものが世界中に、そして中国にも広まりました。その後中国では(おそらく国をあげての)独自の研究が進み、ノジェとは異なる耳鍼療法が誕生し、その後急速に発展しました。これが現在の中国耳鍼療法の始まりです。
 
 中国医学界にとってはちょっと衝撃的だったのでは、と想像します。なにせ中国うん千年の歴史にない鍼を使った治療体系を、フランスの田舎に住む一人の医師が発表したわけですから。さてこの時期、中医学界だけでなく中国全体が大変な変化を迎えていたときでした。60年代後半から70年代、文化大革命により政治、思想、文化の広範囲に及ぶ大きな変革の時期でした。中医学もこのころ大きな変化を強いられています。が、ここではそれには触れず、「赤脚医生」について述べます。

 これは裸足のお医者さんという意味で、当時中国各地では文革のもと農地改革に多くの人民が従事していたのですが、地方での医師不足から、正規の医学教育を受けていない人に短期間で様々な治療技術を教育し、医師の変わりに病人の治療や衛生指導にあたらせる、という発想のもとに普及しました。つまり即席に治療師を作らなければいけませんから、治療方法や診断方法も簡素で覚えやすいものでなければなりません。そこでこの新しい治療法である「耳鍼療法」は有効な治療法として活用されました。何しろ理論の明快さ、覚えやすさ、ごく単純な技術で治療が出来るなど、裸足のお医者さんたちにとっては大きな利点だったのでしょう。

 この辺から私の憶測なのですが、キューバに数年間だけ教えに来ていた中国人からキューバ人が学んだものの中で、耳鍼療法の占めた割合というのは大きかったのではないか、と思うのです。というのは、キューバ人医師たちは、今後の伝統医学発展の為に正しい中医学の知識を吸収するという目的と同時に、「今すぐ使える治療法」というものを手に入れる必要があったはずです。いかに優れた医師とはいえ、全く毛色の違う中医学を学んで鍼なり中薬なりをしっかり使えるようになるまで1年そこいらでは厳しいのではないでしょうか。しかし耳鍼療法であれば、医師でなくとも数週間で一通りマスターできるはずです。(実際に私が見学で訪れたキューバのある病院では医師でなく看護婦さんが、妊婦さんのストレスコントロールの為、耳鍼を施術していました)現在、中国から定期的な中医の医療技術指導は行われていない、少なくとも全国にいる医師たちに指導、普及を目的とするような規模の指導は行われていないと私は見ています。その状況にあっても耳鍼療法はその簡易さから今もキューバ人医師たちの間に定着しているのではないか、と思います。そして私の出会った耳鍼を使う医師たちもそうして技術を身に付けていったのではないでしょうか。ちなみにキューバの伝統医学医の多くがバッチフラワーレメディを真剣に臨床に使っています。これも単純な理論と簡単な手法から普及したのでは、と思います。
 
 キューバの話になると長くなるのでここまでにします。耳鍼の話に戻りますが、そごで私が目にしたのは中国耳鍼法でした。医師たちが使っていた耳鍼図も中国式でしたし、診断の時に耳の望診を重要視していたのも中国耳鍼法の特徴です。私も医師向け耳鍼講習の資料を貰い、具体的な治療法と、取り難い耳穴の詳しい説明を受けて練習しました。

③ノジェの耳鍼医学にふれる

 2008年、キューバでの活動を終えて帰国の後、耳鍼に関しては触れることなく数ヶ月すごした後、今度はスペインに向かうことになりました。マドリッドで指圧治療院と指圧学校を経営されている先生のもとで勤務する為にです。結果としてその後、マドリッドでの仕事はうまく行かずに中止ということになりましたが、ここでまた耳鍼との出会いがありました。正確には趙敏行の「欧米耳鍼法の理論と臨床」という本を、マドリッドの先生から拝借したのです。実はこの本が大きな契機となりました。
 
 海外にいて良いなと思うことは、何かと自分の時間が持てるので本がたくさん読めることです。付き合いも日本よりは減るし、仕事をしていても日本ほどの量ではないですし。(逆に良くない事は紀伊国屋にいけないこと)ある時期、持参していた本を皆読み尽くしていたときにこの本を借り、「そういえばキューバで耳鍼ならったなぁ」と思い読み始めました。
 
  この本の著者、趙先生は朝鮮動乱の時に渡米し、彼の地で医学部教授になった苦労人です。耳鍼発展期のノジェと直接交流した医師本人が日本語で書いた本として、今でも貴重な一冊だと思います。(1978年 医道の日本社発行 絶版ですか?)この本にはノジェの耳鍼法発見に至る過程と、執筆当時既に完成しつつあった耳介医学の概要が書かれています。
 この本を含め、ノジェ関連の文献を読んで次のようなことが分かりました。
  1. 耳鍼、耳つぼ、耳介医学といった一連の治療体系は、その起源こそ紀元前までさかのぼれるが、系統だった医療技術の一端にまで発展させたのはノジェである。
  2. ノジェは耳介医学発展過程の殆どにおいて、解剖学的、胎生学的、神経学的に説明、立証してきた。 故に半世紀過ぎた現在でも、神経系、特に自律神経系と疾病の関係がより重要視されるようになっている中で、ノジェによる耳介医学とその考え方は非常に有用である。
  3. 耳介医学の理論はともかく、それに基づく治療方法極めてシンプルである。 故にクボタ式を始め、「耳つぼで痩せられる」もしくは「耳のココを押すと○○に効く」などの亜流が多数生まれた。

  ノジェ派の耳鍼に興味を持ち始め、今まで見たことのあった中医耳鍼と大きく異なる点がいくつも分かってきました。

  1. 殆ど全ての耳点の配置が解剖学的、神経学的、胎生学的に根拠付けられている。故に病気を神経学的に見たり病理学的に捉えてみる時は治療方針が立てやすい。 また逆に中医耳鍼では、五臓の耳穴を弁証配穴に使えるなど、中医理論がわかっていればこちらも理解がしやすい。
  2. ノジェ反射、(またはACR,VAS)という、脈を診て診断、治療を行うという方法を取り入れている。 中医耳鍼では耳の望診が重要であるとしている。
  3. ノジェの段階(Phase)理論。これは耳の反射図が実は三つあり、病理学的な状態によって同じ耳点でも異なった働きをする事を明らかにしている。またこれによる診断も出来るとしている。
  4. ノジェ派/中医派ともに、鍼以外にレーザー照射・パルス鍼などを用いているが、ノジェ派の光線パルス照射は独特である。
  5. ノジェ周波数。光刺激を体のある特定の部位、もしくは耳介の特定部位に照射すると、前述したノジェ反射に反応が表れる、もしくは治療効果がある、としている。

 以上のうち、3、5、6、7のアイデアは中医耳鍼には全くない考えであり、耳鍼療法を単なる「耳つぼ」としてだけでなく、代替医療の一端とまで高めたものです。故にノジェ派は時に「耳介医学」という呼称を用いることがあります。

 ノジェ派と中医派の違いで、耳点の違いを論じることがありますが、それぞれの耳点の位置の相違よりも、その相違を生じた考え方の背景を論じなければならないと思います。また中医派には段階理論のような考えは無く、耳穴位置は常に一定です。(とはいえノジェ派も臨床上九割はあの「逆さま胎児」の耳点配置が現れるとしています)

 故にノジェ派の耳鍼療法を全て理解しようとすると、それなりに複雑なものとなっています。ラファエル・ノジェによる最新の本「Auriculothrapy」(2008年Thieme社発行)では以上の特徴がシンプルに書かれています。(ただしシンプルすぎて初めて読んだ人には解らないと思います。ただそういうものがあるんだ、ということが解ります)

 私は趙先生の本だけでは充分でなかったのでこの本を読み、その後「耳鍼医学の臨床」も読み、その後ヘルペスの患者さんにこれを試してその効果に驚きました。(臨床報告を参照)以降、体鍼をメインで用いている患者さんに対しても耳点反応を調べる習慣がついてきて、その効果を検証するようになってきました。

④耳鍼医学を学ぶ

 現在ノジェ派もしくはそれを基にした耳鍼療法は、ネットで調べた限りフランス、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、アルゼンチンに一見しっかりとしたカリキュラムのコースがあります。フランスのリヨンにはノジェ派の総本山があります。今は息子のRaphael.Nogierが代表です。これらの教育機関の定期的なコースでなくても年に何回か短期間講習があり、そういう学び方もあるようです。

 リヨンはもちろんでしょうが、アメリカのカリキュラムはしっかりしていそうです。 残念ながら私は耳鍼を勉強したいな、とおもったときには、スペイン、オーストリアにいたので、そこではこれらの機会に触れることができませんでした。ただし日本語と英語で出版されている書籍だけで大体全ての理論が理解できますし、最新の臨床例などもネット上の論文でいくつか見ることができます。

 私にとって幸いだったのは、そのころ臨床の場にいたのでさまざまなケースの患者さんに試すことができたことでした。患者さんのなかには私の体鍼治療よりも痛くないので喜んでいる方もいました。

 いずれ時間を作ってリヨンのコースに参加してみたいなとは思っています。というのはACR(ノジェ反射)の読み方が書籍だけでは解らず、臨床で使えるレベルでないからです。  日本語で入手できる情報を読み、また英語版の書籍、論文を読んで分析しましたが、ノジェ没後も耳鍼療法は変化しつつあります。特に海外の研究者は様々な角度から耳鍼の効果を分析し、大小さまざまなケーススタディを投稿し続けています。日本の研究者は耳鍼の肥満機序解明の研究で活躍しています。

 このブログでは国内外の耳鍼に関する情報を発信すると共に、それに対する私の考えや臨床報告などを掲載していきます。ブログの題名は当初「耳鍼で痩せるなどでたらめだ」と思っていて『痩せない耳ツボ』としようとしましたが、どうやら痩せるらしいことが分かってきたのでこのようにしました。私自身はダイエット希望の患者さんをあまり見ていないのですが、太り気味の身内・友人数名に試してみたら確かに効いたようです。(摂食量減のみ。体重減には至らず)また自分に試したときは只でさえ痩せ気味なのに摂食量・体重が減りました。効くには効くのでしょうが、巷の耳ツボダイエットビジネスのやり方には反対です。耳鍼は優れた鎮痛効果があり、鍼灸師が用いる治療法として優れています。また中医学の呪縛から離れて西洋医学の分野で多く研究されている鍼の面白い分野でもあります。その方面からもっと注目されてもいいのにと思います。

 ご覧になった皆様から間違いのご指摘や、皆様からの提案、報告などを頂き情報交換の場となれば幸いです。

(なぜ今「耳鍼」なのか? 終わり)