耳鍼中国起源論に対する考察

 耳鍼の起源がどこであるかは、研究者や書籍により違いますが、中国人以外はノジェがまとめたと思っています。耳に何らかの刺激をして治療を始めたという記録の最初はヒポクラテスです。それ以前、エジプトに耳を刺激する治療法があるとする考古学者がいますが、はっきりとした記録とはいえません。中国側の主張を幾つか取り上げて見ます。

耳は十二経全てが交わっている。故に耳に全身の反応がおこることは知られていた。
 この根拠は霊枢の「耳は宗脈の聚る部分」というところから来ています。手足の三陽経は全て耳周辺に分布しています。そして陰経は表裏でつながっており、また陰経は経別が顔面で陽経につながっています。こういう経脈が集まったものが宗脈です。
 しかし同じ箇所に「目は宗脈の聚る部分」とあります。しかし中国の眼鍼療法はそんなに適応症は多くありません。眼鍼で坐骨神経痛は治りません。同じ表現ですが耳鍼と眼鍼では大きな違いです。
 この部分は目と耳を五官の中で最も重視している、経絡や臓腑の失調が視覚や聴覚に及ぶ、という事を言っているのです。ちなみに耳鍼法では耳鳴り、難聴の治療効果は低いです。耳門や聴宮に毫鍼を刺入して治療するのは耳鍼法というより普通の体鍼に属します。

中国最古の医学書「黄帝内経」に耳穴による治療法が書かれている。例えば「霊枢・口問篇」に「両耳無聞取耳中」とある。
これは「難聴の治療には耳中穴という経穴を使って治療すると」という意味です。こういうものを局隣取穴とか近取法といいます。簡単にいうと頭の病に頭の経穴を使い、耳の病に耳の経穴を使うということです。

「千金要方」に、耳後の陽維穴を灸して耳鳴りを治すとある。
これも同じです。耳の病に耳の近くの経穴を使っているだけです。

 経穴の基本は十二経、奇経八経、経外奇穴です。このうち経外奇穴はいずれの経絡に所属せずに存在できます。これは経験穴、反応点です。なぜそこにあるか、何経に属するかよりもその効能が故に残っているのです。耳穴はこれに当たります。経絡に所属していないからです。なお「鍼灸大成」にある眼病にたいする耳尖穴への灸法は耳介治療と言えそうです。ノジェのいうアレルギー点です。しかしすでに経外奇穴として他の体鍼同様に扱われています。

 黄帝内経の成立が紀元前二世紀ごろ、ヒポクラテスは紀元前四世紀です。ヒポクラテスは「耳背の静脈を切って坐骨神経痛を治す」手法を既に書き記しており、後世の医師が参考にしています。ですからヒポクラテス以前に中国が少なくとも坐骨神経痛の治療法か、耳背を切開する治療法を用いていなければ耳鍼中国起源説は納得できません。

 ヒポクラテスの坐骨神経痛治療とノジェの見かけた対耳輪の焼灼法の間には直接の関連があるとはいえません。対耳輪焼灼法のルーツはどこか他にあるのかもしれませんが、皮膚を焼く治療法は灸に限らず太古から世界各地に存在します。もちろん黄帝内経成立よりはるか昔の中国から灸の治療法が地中海地方に広まったことは充分考えられます。

 しかし論点は、「耳介のみを刺激対象として多目的の治療を行う」ことを思いついたのはどう考えてもノジェが最初です。耳鳴りや難聴に対して、耳の周辺をさすったり、押したり、刺したり、焼いたり、というのは原始医療の枠を出ていません。