②耳鍼を使う医師たちとの出会い

 2006年、9年間勤務した鍼灸院を辞め、1年の予定でキューバで鍼灸・指圧の指導に行くことになりました。実はこのキューバで耳つぼに再び関わることになりました。

 キューバでなぜ指圧・鍼灸の指導などを?と思われるかもしれませんが、実はキューバは世界でも少ない「医師が病院で普通に鍼灸などの伝統医学を活用」する国の一つなのです。私はそこで「耳鍼」を使って患者を診る医師に何人か出会いました。そのうちの二人とは、数週間に渡り一緒に治療室ですごしたので、彼らの耳鍼による治療をつぶさに見ることが出来ました。

 ここでキューバで伝統医学が一時期発達した経緯を説明する必要があります。90年代、キューバの経済危機はあらゆる分野での物資の不足を招き、それは医薬品にも及びました。病院では薬や医療機器の不足から、「高価で複雑な薬品や医療機器を必要としない、なにか他の治療手段」の需要がありました。またその以前から、キューバ・中国間の友好関係は高まり、その影響は貿易、経済だけでなく、医療の分野にも及びました。旧ソビエト製に比べ質は劣るものの、医薬品が入るようになったり、この時期に数年間、中国から数人の中医師が技術指導の為に滞在しました。この時に直接この中医師から技術を学ぶことが出来たのはあまり多くはありませんでした。また彼らが滞在した病院はハバナ郊外の陸軍病院で、その他の場所で教えたり治療したり、ということはあまりありませんでした。(青字の部分は記録ではなく、医師たちに直接尋ねた時の答えです)私が出会った伝統医学関連の医師のうち、鍼灸、耳鍼を用いる医師はほぼ全員、中国人医師からこのときに学んだ医師から指導を受けていました。

 もう一つ、中国で耳鍼が急速に発展したころの事を説明します。中医耳鍼の本には必ず「耳鍼は昔からあった。古典にも書いてある」とありますが、それは中国側の主張ではあるものの、古典に耳鍼法として治療をするという記載はありません。正確には1957年、耳鍼法提案者のノジェが、ドイツの鍼灸雑誌にこの新しい治療体系を発表、それが翻訳されたものが世界中に、そして中国にも広まりました。その後中国では(おそらく国をあげての)独自の研究が進み、ノジェとは異なる耳鍼療法が誕生し、その後急速に発展しました。これが現在の中国耳鍼療法の始まりです。
 
 中国医学界にとってはちょっと衝撃的だったのでは、と想像します。なにせ中国うん千年の歴史にない鍼を使った治療体系を、フランスの田舎に住む一人の医師が発表したわけですから。さてこの時期、中医学界だけでなく中国全体が大変な変化を迎えていたときでした。60年代後半から70年代、文化大革命により政治、思想、文化の広範囲に及ぶ大きな変革の時期でした。中医学もこのころ大きな変化を強いられています。が、ここではそれには触れず、「赤脚医生」について述べます。

 これは裸足のお医者さんという意味で、当時中国各地では文革のもと農地改革に多くの人民が従事していたのですが、地方での医師不足から、正規の医学教育を受けていない人に短期間で様々な治療技術を教育し、医師の変わりに病人の治療や衛生指導にあたらせる、という発想のもとに普及しました。つまり即席に治療師を作らなければいけませんから、治療方法や診断方法も簡素で覚えやすいものでなければなりません。そこでこの新しい治療法である「耳鍼療法」は有効な治療法として活用されました。何しろ理論の明快さ、覚えやすさ、ごく単純な技術で治療が出来るなど、裸足のお医者さんたちにとっては大きな利点だったのでしょう。

 この辺から私の憶測なのですが、キューバに数年間だけ教えに来ていた中国人からキューバ人が学んだものの中で、耳鍼療法の占めた割合というのは大きかったのではないか、と思うのです。というのは、キューバ人医師たちは、今後の伝統医学発展の為に正しい中医学の知識を吸収するという目的と同時に、「今すぐ使える治療法」というものを手に入れる必要があったはずです。いかに優れた医師とはいえ、全く毛色の違う中医学を学んで鍼なり中薬なりをしっかり使えるようになるまで1年そこいらでは厳しいのではないでしょうか。しかし耳鍼療法であれば、医師でなくとも数週間で一通りマスターできるはずです。(実際に私が見学で訪れたキューバのある病院では医師でなく看護婦さんが、妊婦さんのストレスコントロールの為、耳鍼を施術していました)現在、中国から定期的な中医の医療技術指導は行われていない、少なくとも全国にいる医師たちに指導、普及を目的とするような規模の指導は行われていないと私は見ています。その状況にあっても耳鍼療法はその簡易さから今もキューバ人医師たちの間に定着しているのではないか、と思います。そして私の出会った耳鍼を使う医師たちもそうして技術を身に付けていったのではないでしょうか。ちなみにキューバの伝統医学医の多くがバッチフラワーレメディを真剣に臨床に使っています。これも単純な理論と簡単な手法から普及したのでは、と思います。
 
 キューバの話になると長くなるのでここまでにします。耳鍼の話に戻りますが、そごで私が目にしたのは中国耳鍼法でした。医師たちが使っていた耳鍼図も中国式でしたし、診断の時に耳の望診を重要視していたのも中国耳鍼法の特徴です。私も医師向け耳鍼講習の資料を貰い、具体的な治療法と、取り難い耳穴の詳しい説明を受けて練習しました。